こころのことば:鶴川地蔵尊 地蔵堂:東京・町田、神奈川・横浜、川崎に近い水子供養と祈祷のお寺
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こころのことば【第十一回】
私たちの身近な仏教用語3
身近な会話の中で普段何気なく使っている言葉には仏教からきている言葉がたくさんあります。
言葉の意味を深く理解することで、改めて言葉の大切さに気づくことと思います。
毎日自分らしくあり、そして明るく笑顔で過ごせますことを願っております。

バカボン 簿伽梵(ばかぼん)と書きます。どこかで聞いたことのある言葉ですが実は仏教語です。

バカボンというと何かおもしろおかしく聞こえてしまいますが、ちゃんとした言葉なのです。

バカボンとはインド語のバギャバト・バギャボンを音写したもので、聖なる者や大いなる恵みや幸いを持つ者の意味となります。

古代インドではお師匠さんに対して呼ぶ言葉だったそうですが現在では「世尊(せそん)」・「お釈迦(おしゃか)さま」・「仏さま」の尊称となっています。

私たちは常日頃幸せのために努力し生活しています。
毎日を自分らしく明るく生活するためにも、仏さまのご加護を頂くことが大切です。

感謝の心と初心(「こころのことば」第九回参照)を忘れないよう、心静かにお寺をお参りして仏さまのご加護を頂き、お寺で心をリフレッシュしたり自分自身を見つめ直すのも良いでしょう。
 
 
修行(しゅぎょう) しゅぎょうには「修行」と「修業」の二つがありますが意味が違っており、「修業」は学問や学芸・習い事などを習得することを言い、「修行」は仏道を求めて仏の教えを実践して身につけたことをさらに鍛えることを言います。

修行を行なう者を「修行者(しゅうぎょうじゃ)」や「行者(ぎょうじゃ)」と呼びます。

修行は決して僧侶だけのものではなく在家(出家していない一般の人)の方でも行なうことができます。

四国巡礼・札所巡り・霊峰参り・地域周辺のお寺の定期的なお参り、またお百度参りや写経などもそうです。

また十善戒(「こころのことば」第五回第六回参照)の実践も大切なご修行方法です。

修行とは、自身を磨くための行であり他人に促されてするものではありませんので自発的に行なわなければいけません。

そして仏道を志す気持ちを備えて修行を行ないますので、心は常に慎み深く感謝の心を忘れてはいけません。

生きることは常にお勉強で学ぶことだらけの「ご修業」です。そして一生が心のお勉強であって心の修養の「ご修行」です。一生が修業で一生が修行ということです。

自分らしく生きるためにも世の中を力強く生きていくためにもどうぞ自発的にチャレンジしてみてください。
 
 
阿吽の呼吸
(あうんのこきゅう)
阿吽の呼吸と言いますと息の合った絶妙なコンビプレーを思わせますね。
一つの事を共に行なうときの互いの関係や調子・気持ちが絶妙に一致することを言います。

阿吽は「阿」と「吽」の二字からなり、古代インド語で万物の「始まり」と「終わり」を意味しております。

全ての物事には必ず始まりと終わりがあり、「吐く」と「吸う」の呼吸・「誕生」と「臨終」・「スタート」と「ゴール」・「出会い」と「別れ」など二つの関係は切っても切れない密接な関係にあるわけです。

赤ちゃんが産まれて最初に口を開けて泣く状態「あ(阿)」も亡くなった状態の口を閉じた状態「ん(吽)」も阿吽で、この阿吽を象徴しているのがお寺の門の仁王(におう)さまや神社の社頭の狛犬(こまいぬ)です。

片方は「あ」と口を開けていて、もう片方は「ん」と口を閉じています。阿吽は常に万物全てにおいて密接した関係にあるのです。

私たちは常に人に支えられて生きています。
あるときは人を支え、あるときは人に支えられ、阿吽の呼吸のように心が通じ合いお互いサポートしあえる関係でありたいものです。

呼吸を合わすということは、相手の気持ちになってあげるということ、相手の心を理解してあげるということかもしれません。

自分の言動が正しくても相手に譲ってあげないといけない時もあり、また理不尽なことが沢山あって過剰なほどのストレスになることも多々あると思います。

しかし考え方を変えてみれば結果的に自分自身の利益となる、我慢する心の忍耐力が養われるということになるのです。

そのあなたの寛大な心が人間関係を円滑にし自身を大きくし、人から頼られ尊敬される存在となるのです。
鶴川地蔵尊 地蔵堂 堂主
合掌